「運という言葉」自体が持つ人々のイメージは、漠然としていて広範囲に渡ります。
個人的な占い・バイオリズム・気分の良し悪しから、企業や国家の命運と呼ばれるものまでです。
そんな中で、人々はジンクス・験担ぎなどの可愛いものから、運を支配する法則などの勇ましいものまで、何とかコントロールしようと頑張っています。
人々は小自我としての人間が主体で、“運”をコントロールできると思っています。
自分の人生は自分が現実創造したもの
ここで冒頭の「はじめに」で書いた“自分の人生は自分が現実創造したもの”という言葉が、意味を持ちます。
小自我としての自分では“気がつけない自分(大自我)”が現実創造していることになります。
人間全体として、“運”はコントロール可能であっても、小自我ではないということになります。
小自我としての人間は、超自然的な知性を持っていません。
たとえ、小自我にとって一時的に苦痛を味わうような時期があっても、人生を俯瞰した状態から見ると、魂の成長に必要な場合、Higher selfは贈り物として与える場合があります。
そして、一見苦痛に思われる時期であっても、受けとり方次第で楽しんで過ごすことは可能です。
小自我にとっては、魂が成長しないと贈り物の意味が理解できません。