あなたが自分の世界に“惨めな現実”を創っているとします。
そこであなたが言い訳をすることもなく、誰のせいにすることもなく、自分の“惨めな現実”は自分の「選択」だと言うことができれば、それに対してほかの誰も“責任”を負わなくて済むようになります。
そのとき、はじめてあなたは“自由”になります。
あなたはその“惨めな現実”を創り続けることをやめることもできますし、“不幸にしがみつく”ことをやめる「選択」も可能になります。
しかし、ほかの誰かがあなたをこの“惨めな現実”に閉じれているとするなら、その誰か以外はあなたを外に連れ出せないことになります。
あなたは、その誰かにまったく無力になるのです。
このことは“奪われるEnergy”のところでも話したことです。
あなたは“自分自身に責任”を感じれば、あなたの中に突然、“自由”が顕れ始めます。
重要なポイントは、“責任”を負うことが“罪悪感”を発生させることではありません。識別してください。