“それぞれの現実を尊重する”この言葉は、今の人類には理解し難いものかもしれません。
たとえば、あなたが飢えている子を目の前にして“痛み”を感じたとしましょう。
それはあなた自身の“痛み”です。
その子を見た時に感じた“痛み”は、その子のものではなく“あなた”のものであると気づいてください。
そしてその子が選択した現実について、その責任をあなたが背負う必要は何もないのです。
あなたにとって必要なのは、ただその子を認識し、見守ってあげることなのです。
他人の“痛み”に執着しないことです。
それと同時に、あなたの“やさしさ”からできることがあれば、「自己優先」した上で、手を差し伸べることです。
二つのことを許容する
いっぽうではあなたは、その“痛み”を自分の創造物の一部として受け入れます。
そしてもういっぽうで、その人が創り出した苦しみの状況に対する責任は、その人に委ねます。
この二つのことが同時に起こっていくのを許容します。
それが「適切な責任」です。